聖霊降臨 5日目 ジョナサン神学生

あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、思いやりの心、親切、へりくだり、優しさ、広い心を身にまといなさい。 互いに耐え忍び、誰かに不満があったとしても、互いに心から赦し合いなさい。主があなたがたを心から赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。 これらすべてのことを上に愛をまといなさい。愛は完成さをもたらす帯です。 そして、キリストの平和にあなたがたの心を支配させなさい。あなたがたが一つの体に結ばれる者として招かれたのも、この平和のためなのです。そうして、感謝の人となりなさい。

コロサイ3章12−15節
テーマ:寛容

この聖書箇所にある、パウロのコロサイ人たちにあてた励ましの言葉は、キリスト者にとって、最高なお褒めの言葉のではないでしょうか。パウロは、コロサイの使徒たちを「神に選ばれたもの、聖なるもの、愛されているもの」という風に次から次へと褒めて、呼びました。私の心も、この言葉をとおして、誇りで満たされたような気がします。私はあのコロサイ人たちと同じように、キリスト者だからです。しかし、パウロは、この手紙を励ましとお褒めの言葉で止めなかったのです。すぐに、コロサイの人々に、そして、現代、この書簡を読んでいるキリスト者たちに、命令を出しました。「互いに耐え忍び、誰かに不満があったとしても、互いに心から赦し合いなさい」と。
このパウロの命令で、愛に満ち溢れる共同体を作るのはどんなに難しいことか、私たちにも分かると思います。たくさんの人が集まると、いくら同じ目的を持っているとしても、異文化や言語の壁や性格の相違などというチャレンジーが必ず出てくるでしょう。そして、あまり好きではない、受け入れがたい人に会える可能性が高くなるのではないかと思います。こういうことがあると分かっていたパウロは、私たちに対する神様の寛大さを思い出させてくださいます。神様は、私を心から赦してくださったので、私は兄弟を赦せないというわけにはいかないでしょう。もちろん、これは簡単なことだと言えないのですが、神様が私たちを先に赦してくださり、愛してくださったのを意識すると、分け隔てなく寛容の心を持って、皆を真に赦し、尊敬し、愛することはできなくはないことだと思います。
確かに、キリスト者であることはただの素敵な名前ではありません。私たちは本当のキリスト者として生きるために、キリストのように、神様のように、互いに赦し合い、愛し合わなければなりません。だが、もし私たちがこの掟に対して、失敗しても、神様は私たちをすでに神様の寛大さで赦してくださったでしょう。そして、寛容の心を持つまでに導いてくださるでしょう。だから、祈り続けましょう。