聖霊降臨ノヴェナ 3日目 荒田神学生

マタイによる福音6:1-6
テーマ「善意」
立願神学生 荒田啓示

見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。
施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。
祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。
過去に私が人から注意を受けた時や叱られた時に度々聞こえてきたのは「お前のためだ」とか「君のことを思って言っているんだ」という言葉でした。しかし実際に後から思い返してみて「ああ、本当にあの人は私のことを考えて言ってくれたんだなあ」と感じたことはほとんどありません。大体の人は自分の立場や責任のことで頭が一杯になっていたように思えます。
さて、今日のテーマは「善意」であります。この善意という言葉ほど、他人の心の中を覗き込みたくなる言葉は無いと思いますが、我々が普段善意だと思って行動していることは果たして本当に善意でしょうか。私は自分の行動を正直に鑑みるに、善意で行動した、と言い切れる場面はゼロに近いです。自分では善意だと思っていてもその行動に対して何らかの報いをどこかで求めている気がします。
今日読んだ福音の中で偽善者たちはほめられよう、人に見てもらおうとして大きな行動を取ります。私もこういう行動は得意な方ではありますが、満足行く結果が得られることは多くありません。その結果「自分はこれだけの事をしたのに、報われない。」とふてくされてしまったり、良い結果を得た他人を妬んだりするようになってしまいがちです。こうなってしまうと、善意を損得勘定してしまうようになり、それはもはや「見返りを見据えた計画的行動」と化してしまいます。
我々人間には皆、他人からの承認欲求もあり、称賛や見返りを求める心もあり、時にはそれが強く出てきてしまうこともあると思います。そういう時にこそ、我々はそんな心と上手に付き合いながらも、自分の中での善意としての行動をとり続ける必要があるのではないでしょうか。
聖書の中でイエスは多くの業を多くの人間のために行いました。しかしながらそれら全てが称賛に繋がったわけではなく、むしろ非難を受けたり、敵視されたりする場面が目立ちます。しかしイエスはそれでも行動を止めることはせず、次へ次へと進んで行きました。我々はこのイエスの切り替えの良さに、善意の行動の精神を学ぶことが出来ると思います。「どうせ何も報われないのだから、何もやらない方がいい」と切り捨ててしまうのではなく、例え見返りを求めたとしてもその結果に左右されまいとする精神を身につけること。このような小さな一歩が、聖霊の結ぶ実である本当の善意に近づくことになるのだと私は思います。
聖霊降臨まであと一週間となりました。我々の小さな行動の上にも、天に昇られた主の導き、そして隠れたことを見ておられる父の見守りがあるように願いながら、聖霊の結ぶ実を受け取る準備をして参りましょう。

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