聖霊降臨ノヴェナ 6日目 馬場神学生

2016年5月11日の分かち合い
「平和」について

朗読:ルカ24:50−53
ルカによる福音
イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。// そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。//
彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。
今日の分かち合いのテーマは「平和」です。

まず、私はまだ勉強中であるため、この分かち合いの内容が間違っているかもしれません。その旨を予めお詫びいたします。そして、もし間違っている箇所がありましたら、必ず後で教えてください。よろしくお願いします。
さて、「平和」とは何でしょうか?辞書で調べてみると、「①戦争や紛争がなく、世の中が穏やかな状態にあること。また、そのさま。②心配やもめごとがなく、おだやかなこと。また、そのさま。」とあります。そうなのでしょうが、何だかピンときません。では、私たちキリスト者にとって「平和」とはなんでしょうか?
と、その話をする前に、
私たちは今、主の昇天から聖霊降臨までの間にいます。昇天されたので主が共におられない。///この一週間にはどのような意味があるのでしょうか?今、私たちは何をしなければならないのでしょうか?
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言いますが、私たちは同じような経験をほんのひと月ほど前にもしていた筈です。///「主がともにおられない」という体験、そう聖土曜日の始まりから復活徹夜祭までの約30時間です。聖堂から何もかもが取り去られ、隠され、私たちは「主がともにおられない」ことを強く感じた筈です。しかし、この一週間はそうではありません。何が違うのでしょうか?
イエス様は弟子たちに、ご自身の御受難と死、そして復活を3度も話されました。しかし弟子たちはイエスの死後、人々に福音を告げ知らせずに、それぞれ元の場所に戻ってしまいました。彼らが自分たちの近くにいつもいるイエス様がいなくなったこと、そして「主は復活されて再び来る」というイエスの言葉を理解出来なかったからではないでしょうか?//しかしその後、弟子たちや女性たちがそれぞれ「イエスの復活」を体験するようになるにつれイエスの言葉、つまり自らの派遣とイエスに代わって弁護者が来ることを理解し、それに生きるものと変わったのです。「福音を宣べ伝えるのは、ほかの誰でもない私である。」と。だから彼らがイエスの昇天の後に大喜びで人々に福音を告げ知らせることが出来たのではないでしょうか。
ここで「平和」についての話に戻ります。エフェソの信徒への手紙では「キリストはわたしたちの平和である」と述べています。キリストは、その肉によって平和を実現され、私たちをキリストに生きる者つまり、平和に生きる者としてくださいました。すなわち、愛であるキリストが、私たちを愛に生きる者としてくださったとも言い換えることが出来るのではないでしょうか。//私たちは平和に生きる者です。
私の好きな言葉の一つに、「暗いと不平を言うよりも進んで明かりをつけましょう」があります。小さな頃から幾度となく耳にしてきたこの言葉が、なぜか最近になって心に染みるようになりました。こころのともしび運動が私に蒔き続けてくれた種が、やっと根を張り、芽を出したのかもしれません。この言葉は、愛を行いのはほかの誰でもなく私である。私が進んで愛を実践する。という意味であると私は理解しています。
そこで愛の実践についてお話ししたいと思います。私の志願期と修練期に修女連の合同修練に参加する機会をいただきました。その中で特に心に残った神父様の話が、「愛とは優しく、ほわっとしたものではない」ということです。修道院の生活は様々な人が集まった共同生活です。当然考え方も十人十色です。そのような生活の中で、愛することとは、例えば、ある修道院で、一人のシスターが開けっ放しになったトイレのドアを毎日黙って閉めているような話がありました。全員が開けっ放しにするわけではありません。ごく一部の人が開けっ放しにするのです。開けっ放しにすると臭いや音が漏れるのでドアを閉めます。みんなそれに対して不平不満を漏らしたり犯人探しをしたりしていました。しかし幾人かのシスターは、開けっ放しにする人に対して怒りもせず黙って毎日トイレのドアを閉めている。このように小さなことだけれども、それによって修道院の平和に保っている。これこそ「暗いと不平を言うよりも進んで明かりをつけましょう」ではないでしょうか。今、世界で戦争や紛争、テロ、難民問題など平和とは反対にあるようなことが多くあります。そのような大きな問題に対しても、他の誰かが解決してくれる問題としてではなく今、他の誰でもない、私が行動しなければならない事として考えなければなりません。
「キリストによって実現された愛、つまり平和に生きる私たち」が、自分とその周りの小さな平和、あるいは世界の中で愛であり平和であるキリストを宣べ伝え、実行するためにはどうすればよいでしょうか?聖霊降臨までの残された時間の中で日々の祈りと奉仕、勉強を通して見つけてみましょう。

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