5日目 エジルソン神学生

 

ルカ福音書1章25-28節

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。

数年前、私は仕事の面接のために、静岡県の掛川市の田舎の小さな会社に行きました。面接が決まった時から、持っていなかったスーツを買い、履歴書を丁寧に準備し、面接のイメージトレーニングまでやりました。面接する前から緊張感が止まりませんでした。面接当日に、約束時間の5分前に会社を訪れました。正面玄関から入ろうとしたときに服の汚いおじさんが、玄関のそばにあった花の手入れをしていました。その服装からすると、ただの清掃員、あるいは庭師のおじさんかと思いました。その会社においては身分の低い人だと思い、そのおじさんに挨拶もせずに、面接へと向かいました。会社に入り、事務員の方は快く、自分を応接間へ通し、お茶を出していただき、「社長が参りますので、少々お待ちください」と言われました。

数分後、応接間に現れたのは、先の汚い服を着ていたおじさんでした。

面接は終わり、返事は後日にいただきました。結果はだめでした。通知書に不採用理由は書いてありませんでした。しかし、自分の中で、汚い恰好していたあの社長が、応接間に入ったときから、落ちたなと思いました。理由が書いていなくても、私にとって不採用の一番な理由はわかりました。

さて、福音書に戻りますが、「ナザレ」の町の名前が今日の福音書に出ています。ナザレに関しては、ヨハネ福音書でナタナエルがメシアがナザレから来たということに対してがっかりして、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言っているように、ナザレという町に対して偏見があったことが示されています。また、今日の福音書での天使の挨拶に対して「この挨拶は何のことかと考え込んだ」とマリアがリアクションしたことが記されています。このリアクションは、その時代において女性に挨拶することが普通ではなかったことを示しています。

ここで共通点が見られます。それは差別、あるいは偏見です。

神が田舎娘とその町をあえて、受肉の場として選んだのが理由があります。私がやったように、偏見によって行動したことはよくないことであると神は教えてくれています。

むしろ、人をその姿から、出身地、社会的地位、宗教、などから決して判断してはいけません。すべての人は神の前に同じです。汚い恰好をしたおじさんであろうが、高いスーツの会社の社長であろうが、田舎の娘であろうが、都会のマダムであろうが、すべての人を平等に接しなければなりません。

イエスはもうすぐに生まれます。マリアのようにきれいな布に幼子を囲むように、私たちもきれいな心で幼子を囲むことができるよう、自分たちのなかにある偏見を聖霊の力によって取り除くことを願いながら、祈り続けましょう。