7日目 ジョナサン神学生

親心

サムエル記上2章

 先ほど朗読された聖書箇所では描かれたハンナが神様への模範的な忠実さを現したのだと思います。不妊のハンナは、子供という恵みを長い間、待っており、彼女によって生まれた子供であるサムエルを、約束した通り、惜しみなく神様に委ねました。神様への約束と言っても、ハンナが母として、子供から離れるのにどんなに辛いか、私には想像がつきません。しかし、彼女は、サムエルが神様の恵みによって生まれた子だと感じて、この恵みにふさわしく応えるために、自分が強く望んでいた子を神に捧げることを心に決めていたのでしょう。しかし、ハンナの神への忠実さだけではなく、彼女のお母さんらしい姿も魅力的だと思います。

彼女は、生まれたばかりのサムエルをすぐに神殿に委ねませんでした。自分の子供から離れたくないという理由も考えられると思いますが、あの約束を破ろうとはしませんでした。そして、彼女は待ちました。サムエルが乳離れするまで、待ちました。サムエルの命に別条はないか、自分から離れても、きちんと生きられるか、と確かめてから、ハンナは快く神様への約束を果たしました。これは、母の素晴らしい親心だと思います。この観点からすると、父である神もご自分の独り子をお遣わしになった時に、同じく感じられたのではないでしょうか。ご自分の子のために、ふさわしい父と母親をお選びになり、愛に溢れる家族を準備してから、イエス様をこの世に委ねられたので、これも素晴らしい親心だと言えるのではないでしょうか。

ある意味で、私たちも、人間として、キリスト者として、修道者として、神学生として、サムエルとイエスのように、私たちの父である神の愛と恵みによって、育まれて準備されているのです。なぜなら、私たちはサムエルのように神様の証人だからです。私たちは、イエスのように神の子だからです。私たちが神の言葉を受けることができるよう、そして、神様からいただいた私たちの使命を果たすことができるよう、私たちの心を備えるために、神様は家族、友達、共同体を私たちに与えてくれます。待降節の時に、私たちはこのことを思い出すように招かれています。これらを私たちの心にとどまらせることができるよう、毎年の待降節の時にも、祈り続けましょう。