9日目「遵守と予言」修道士ミロイ

マルコ10章20−21
すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

私は安城教会で一年間働いて、一人の大先輩の司祭と一緒に過ごすことがありました。彼は宣教師として日本に来て四十五年も経つそうです。彼がそんなに長い期間、働いていることを私はすばらしいと思いながら、新人宣教師の私が日本で長く働けるように何が必要なのかを知りたかったです。ある日私は、「神父様、日本で長く過ごせるように何が一番大事ですか?」と聞きました。彼は、「いいえ、いいえ、別にないよ。私は日本に任命されたので、今でも日本に残っているよ。」と答えました。本当に、私は感動しました。

今日の一つのテーマは遵守です。「遵守」とはどういうことでしょう。今日の福音書には答えがあります。遵守というのは、神のおきてをよく守ることだけでは足りないと主イエスは若者に言われました。確かに、掟やルールなどは大切なことですが、もっと大事なのはイエスに従うことです。イエスに従うことは、イエスとともに生きることだと思います。イエスとともに生きるとは、自分の力、自分の才能、自分の財産ではなく、神の力、神の知恵、神の恵みで存在して働くことです。

私は宣教修道士として、これは大きなチャレンジだと思います。私は勉強で論文を書くために、いくら頑張ってもなかなかいいアイデアができなくて、ストレスになって困ることがあります。力仕事をあまりしなくても大変疲れたときもあります。このような忙しさの中で、私が日本に来たのは何の目的だろうかという問いかけが生じます。日本で長く働くのは何の意味があるかとよく考えます。今日の福音書では、主イエスは「私に従いなさい」と若者に命じられました。確かに、私が日本に来たのは神からの任命です。私はこの任命を、聖霊の力、知恵、恵みによって守ります。なんといっても、宣教は自分の仕事ではなく、神の仕事です。私達は修道者として遵守を守り、主イエスに従って神の道具となるように祈りましょう。