1日目 グエン・タン・ヒ神学生

 クリスマスというのは、神様から全人類に救い主・幼い子という大きな贈り物を私たちにくださった記念です。

 今日の第一朗読、イザヤの預言56章の題名は「異邦人の救い」と新共同訳をめぐってみれば、そこには書かれています。神様が全ての民族、地球上にある全人類への救いを望んでいると、私たちはそう教えられ、信じています。

 マタイ7:24~28「カナンの女の信仰」、あるいはマルコ15:21~30「シリア・フェニキアの女の信仰」でも、異邦人への救いが旧約から新約にかけて、イエス・キリストを通して、成就されることを明白に書かれています。カナンの女の信仰の話では。

21 イエスは(そこをたち)、ティルスとシドンの地方に行かれた。22 すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。23 しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」24 イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。25 しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。26 イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、27 女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」28 そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。(マタイ福音書15章)

 ここで、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」というイエスの言葉に注目して、出てくる名詞を少し整理していきたいと思います。「子供たち」というのは選ばれた民、つまりイスラエル民族のこと、「パン」は神の恵み・救いの恩恵、そして「子犬」というのは異邦人のことを指しているでしょう。イエスの言葉の意味は、イスラエル民族の恵みをそのまま異邦人に与えてはいけないと理解することができます。イエスは初めにカナンの女のことを拒んでいたが、彼女の言葉・信仰によって、イエスの心の変換が見られます。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」異邦人でも選ばれた民から溢れこぼれるあなたの愛・救いの恵みをいただくことができるでしょうと、彼女はイエスに強く問い質しました。イエスは「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」とお答え、異邦人への救いが確立されました。

 異邦人への救い以外にも、この場面で、もう一点私たちがイエスの言動から学ぶことができます。真の人間であるイエスの未熟さからの、成長と完全性への可能性です。旧約時代から示された御父の意図に気づかずに、カナンの女の願い声を答えなかった人から、彼女の強い信仰によって、御父の偉大な愛とそのご計画に気づき、異邦人への救いを啓示するイエス・キリストとなったのです。人間である以上、私たちは御父のみ元に帰るまでは未熟のままの姿です。時には、イエス様のように背中を振り返り、後ろにいる人々の声を聞くことも必要でしょう。

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