月別アーカイブ: 2010年12月

2010年ガブリエル 院長挨拶

私は人間ウォッチングが好きです。電車やバスの中の人、買い物中の人、勉強中の学生、病院で自分の順番を待つ人、食事をしている人、さらにミサが終わって教会から出てくる人などを観察するのが好きです。Beauty Machine 変わった趣味かもしれません!色々な異なる所で見る彼らの顔が様々な気持ちを表現しています。それぞれの場面によって、彼らの顔には嬉しさ、悲しさ、痛み、苦しみ、孤独さ、楽しさ、夢や希望などが表れています。顔のその表情は、彼らの現状を表しているのでしょう。

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2010年ガブリエル 特集 聖体 「小神学生」

中一 磯部 悠介

この「聖体」ということばには、どんな意味があるのだろうか? 僕がそう考え始めたのは、小学六年生の時です。僕は小学五年生まで、この「聖体」というのはキリストの体ということを知らず、ただのパンだと思っていました。だから、神父様が聖体をわたす時に、「キリストの体」となぜいうのかなと、ずっと考えていました。小学六年生になった時に、父が「神父様にならないか」と言ってきて、「ちょっとだけならなってもいいかなぁ」と思い、そして「聖体」という言葉にどんな意味があるかを考え始め、六年生になって一カ月たった時、やっと「聖体」はイエス様の体ということが分かりました。今、僕は中学一年生で、神学校に入って三カ月がたちました。やっと生活にもなれ、今僕を入れて五人の神学生がルドヴィコ神学院にいます。この人たちと一緒に、神父様になることを目指しています。神父様になるためには、聖体の意味をもっと理解しなければなりません。だからこそ、ここで学ぶことはたくさんあります。そして、神父様の話をちゃんと聞いて、そこから学んでいきたいです。そして、ここで理解したことを、キリスト教を知らない人々に伝えていきたいと思います。

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2010年ガブリエル 特集 ご聖体のありがたさ 「修練士 先山 諒」

ミサの中で頂くご聖体。皆さんは司祭から渡され、口の中に入れたとき何を感じているでしょうか。何も感じない人もいれば、特別な感情を抱く人など色々な人がいると思います。それは個人の感情なので、どんな事を実感していても素晴らしいことです。 続きを読む

2010年ガブリエル 特集 聖体 「修練士 荒田 啓示」

小神学生の頃から、あるいは侍者会に参加していた期間も含めて毎日ミサに与ってきた。これまで「聖体を受ける」という事は、ミサの流れの一つに過ぎない程度の考えしか持っていなかったように思える。普通は毎週日曜日、そして教会の祝祭日にミサに与る。教会によっては毎日ミサが捧げられるわけではないので、神学院の生活はそういった意味で恵まれた環境にあるのだろう。だからなのか聖体を受ける度に満足や感謝といった感情は正直なところあまり湧き上がって来ない。聖体を受ける生活が当然の毎日に慣れすぎてしまったのかもしれない。

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2010年ガブリエル 特集 見えない神の現存を信じる恵み 「立願神学生 トゥ・ダン・フック」

最近、私は自動車学校に通い始めた。「危険を予測する能力を高めよう」を題にするそこでの学科教習では、ある表現が頻繁に出てくる。それは「見えないことは存在しないことではない」という言葉である。つまり、自動車の運転中、狭い交差点や前方に車両が駐車している場所、道路に障害物などといった見通しの悪い場所を通るとき、歩行者も車も見えにくいが、「それらが存在する」と思いながら慎重に運転するのが大切だと教えられた。言うまでもなく、自動車学校では、この「見えないことは存在しないことではない」という表現は、それ以上の意味では理解されていない。しかし、それを耳にした時、私は別の意味を読み取っていた。それは目に見えない神の存在、特にご聖体においてのキリストの存在に気づいたのである。確かに肉眼で見えないが、存在しないとは言えないということを再確認したのる。信仰教育において、教会の教えを学び、典礼における儀式の秘儀を理解するのはそれ程難しくないが、目に見えない存在に対する心の認識、神体験を育てるのがもっと重要だと思われる。神言修道会の神学生として、あちこちの日曜学校の仕事キリストの体と信じることはやはり人間の能力によるのではなく特別な神の恩恵によるのだと思っている。そのため、このようなときに、一生懸命に説明するよりも、むしろ、子供たちと共に神に信仰の恵みを願ったほうが効果的だと思い始めた。

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