2010年ガブリエル 特集 聖体への尊敬 「立願神学生 ヨセフ」

聖体は信徒の魂の糧とよく言われます。言うまでもなく、聖体は我々にとって非常に大切なものです。なぜなら聖体によって養われているからです。イエス様は我々に対して本当に並々ならぬ心配りをして下さいます。イエス様は「我々はイエス様が必要です」と知っていますから、我々のために聖体と言われる秘跡的な形でこの世にいます。我々はミサに参加するたびに、聖体を食べることができます。現代の教会では毎週の日曜日に信徒が聖体をいただくことができます。それはイエス様に対する我々の信仰を強めるのに役に立つに違いないです。

度々聖体をいただくのはいい習慣だと思います。しかしながら、あまりにも頻繁になりすぎるので、ミサに与るならば、必ず聖体をいただくと思いがちでしょう。更にそれが当たり前のことだと思ってしまうきらいもあるのではないでしょうか。人間はたまに当たり前に思うことに対して、尊敬や敬いの念を示したり、表したりすることが段々弱まっていくと考えられます。ですから、現代の我々は聖体に対する尊敬をよく表しているかどうかと言うことを反省したり、考えたりしなければならないと思います。あるいはその尊敬の程度が足りるかどうかと言うことを我々は自分に問わないといけないです。教会の規範に従って、聖体を食べる前の十分な準備も無視できないですが、例えば、一時間前に薬と水を除き、他の食べ物と飲み物を口にしないことです。それは単なる肉体的な準備に過ぎないでしょう。最も重要な準備はやはり心の準備だと思われます。言い換えるならば、清い心を持つのは当然のことですが、イエス様の教えに従う、より良いことをすれば聖体を食べる相応しさも上がるのではないでしょうか。例を取り上げますと、困っている人を助けること、苦しい人に慰めを与える話などしてあげると言うことです。

そしてもう一つは日本の文化に従って、お辞儀でその尊敬を表すことです。外国人の多い日本の教会では聖体の前に気持ちをこめてお辞儀をする方法さえあまり知らない外国人が少なくないです。更に自分の国のやり方で聖体の前に尊敬を表すことをしない人もいます。如何してでしょうか。社長や部長の前では頭を良く下げますが、聖体の前でどんな尊敬の礼もしないのは考えがたいことです。どんな姿勢でも聖体の前により目で見える、尊敬示す姿勢を現してほしいです。周知のように聖体は我々の信仰生活の中でかけがえのない存在です。聖体の前に尊敬を示すことがわれわれの信仰に対する一種の肯定になると思います。パンの形ですが、イエス様がその中に臨在していると信じているから、それを大切にしなければならないです。