2010年ガブリエル 特集 聖体 「小神学生」

中一 磯部 悠介

この「聖体」ということばには、どんな意味があるのだろうか? 僕がそう考え始めたのは、小学六年生の時です。僕は小学五年生まで、この「聖体」というのはキリストの体ということを知らず、ただのパンだと思っていました。だから、神父様が聖体をわたす時に、「キリストの体」となぜいうのかなと、ずっと考えていました。小学六年生になった時に、父が「神父様にならないか」と言ってきて、「ちょっとだけならなってもいいかなぁ」と思い、そして「聖体」という言葉にどんな意味があるかを考え始め、六年生になって一カ月たった時、やっと「聖体」はイエス様の体ということが分かりました。今、僕は中学一年生で、神学校に入って三カ月がたちました。やっと生活にもなれ、今僕を入れて五人の神学生がルドヴィコ神学院にいます。この人たちと一緒に、神父様になることを目指しています。神父様になるためには、聖体の意味をもっと理解しなければなりません。だからこそ、ここで学ぶことはたくさんあります。そして、神父様の話をちゃんと聞いて、そこから学んでいきたいです。そして、ここで理解したことを、キリスト教を知らない人々に伝えていきたいと思います。

聖体中二 佐野  晶

今回のガブリエルのテーマは聖体という少し難しいテーマなので、頭をフル回転させて考えてみます。皆さんが、初めて聖体を拝領できるようになったのはいつですか? 子供のころに聖体について学び、その後に拝領できるようになった人もいるでしょうし、大人になってから洗礼を受けて、拝領できるようになった人など、それぞれだと思います。聖体は七つの秘跡の一つです。秘跡とはキリスト者の人生の中での重要な「道しるべ」となるでしょう。聖体は、ただのパンではなく、私たち一人ひとりの心を清くしてくれる「キリストの体」だと、私は認識しています。だから聖体を大事にしたいし、同時に、人生に必要な「道しるべ」であることを、聖体にいただく時、忘れないようにしたいと思います。

聖体中三 浜田 叶夢アンドレ

今年のテーマとして、「聖体」が出されました。小神学校三年目で初めて、書くのが難しいと感じました。毎日聖体を受けていますので、一般の信者の人たちよりも優れています。ほとんどの信者は、週に一回しか受けていないのに、神学生になってからは、週に七回も受けます。つまり神学生の信仰は、一般の信者の人たちの信仰の七倍です。しかし、そうでもないでしょう。信者の人たちの信仰より弱い信仰を持つ神学生もいます。というのは、聖体を受ける回数で信仰の強さは分からないからです。では、聖体を通して、どのようにその人の信仰の強さはわかるのでしょう。確かに、聖体を受ける時の受け方によって分かります。受ける姿勢が悪い、左手の上に右手を置く、手を神父様が授ける位置まで上げない、片手で受ける、受ける時に「アーメン」と言わない、などでその人の信仰は弱いようにみえます。しかし、違います。神の存在を認め、神を愛し、聞き従う人がいたとします。残念なことにその人はちゃんとした宗教教育を受けていないので、聖体を受ける時の姿勢が悪くても気付かないだけなのです。けれどもこれでこの人は信仰が弱いことにはなりません。本当は、人の信仰の強さは知ることができません。なぜならば、人の信仰は外には現れません。というよりも、現わしてはいけないのです。「右手は左手に何をしているか言ってはならない」という聖書の箇所があります。「あの人は強い信仰を持っている」「この人、ダメだわね」などと評価されることはありますが、それがそのまま信仰とはなりません。自信を持って祈りましょう。人は自分の信仰しか知ることが出来ません。信仰の強さは、どれだけ神を信じているか、そしてどれだけ愛しているかでわかります。

聖体のイメージ高一 松本 和記

僕の聖体に対するイメージは、単純に、みんなが多分思っているイメージと一緒で、「キリストの体」というイメージです。僕の今までの聖体に対する思いは、初聖体を受ける前までは、とてもおいしくてお菓子みたいなものだと思っていました。だけど、実際食べてみたら味はなく、そこまでおいしくありませんでした。でも今は、味はあまり関係ないと思っています。なぜなら、聖体はキリストの体であり、尊いものだから、お菓子よりもはるかに大切にあつかわなければならないからです。だから、これからはその意識をもっと高めて、キリストの体をいただいていきたいと思います。

聖体高一 池田 素輝

ミサで毎回いただく聖体は、イエス様の体であり、秘跡の一つでもあります。僕は小さい頃、初聖体を受ける前は、聖体がどんなものか全く理解していませんでした。それでも大人たちが食べているのをみると、自分も食べてみたくなり、どんな味か聞いたりしていました。その頃からすでに、何かよくわからないけれど大切なものだろう、と感じていたのだと思います。聖体をいただくことによって、イエス様を自分の中に感じ、自分の行いを改善していく、僕はそういった思いで今まで聖体をいただいてきました。そして神学生となった今、毎日聖体をいただくようになってからは、今まで以上に努力していくべきだとも思うようになりました。これからの僕の生活、まだまだ改善の余地があります。聖体を軽々しく考えず、その意味を考え、イエス様を自分の中に感じながら、一層努力していきたいです。