2010年ガブリエル 特集 聖体とエコロジーの関係 「立願神学生 ダディ・オンケン」

ローマ・カトリック教会の聖体祭儀は「イエスの最後の晩餐」の祝典です。イエスは使徒たちにパン「体」とぶどう酒「血」を与え、「これを食べて、飲みなさい」と言いました。この祝典の中には、「収穫のささげ」、「罪の赦し」の祝典もあります。信徒は神をほめたり、イエスが来られたりすることを信じています。以上の考えにより私は、聖体祭儀におけるシンボルは生態系と関係があると思います。聖体の全体とすべてのシンボルに環境的な意味があると思います。これから、聖体とエコロジーとの関係を見てみましょう。

聖体祭儀の時

一、信者が応え、繰り返す言葉から

聖体祭儀の時、司祭は色々な祈りを唱え、同じように信徒は応えます。 聖体祭儀の祈りにおいて、

ア.「神様はすべての源であります」神は天と地にあるものを造りました。見えるものと見えないものは神によって造られたものです。全てのものは、神によって造られたものと言っています。造られたものは人間だけではありません。神は自分が造られたものを「よしとされた。」(創世記一章一三節)。愛をもって造りました。万物を造ってから、神は離れていきません。その万物の中においでになりました。だから人間と自然は神聖になりました。だから万物は神様ほめ歌います。神に歌うのは人間だけの仕事ではありません。詩編一四八では、空、星、鳥、雪、水、海、木、火、山、なども神に歌います。聖体祭儀において神は、人間と自然とにつながっています。

イ.「イエスはよい羊飼い」このイメージもエコロジーと関係があります。よい羊飼いは自分の羊の世話をするのです。いつも水や草を食べさせます。羊飼いは、羊と草と水とをつなげています。同じようにイエスは羊飼い、そして私達は羊です。そして私達のそばには自然があります。両方は神をほめます。

ウ.「主よ、あわれみたまえ。キリスト、あわれみたまえ」

人間の罪は、神様に罪を犯すことです。それに兄弟に罪を犯すこともあります。罪の結果は大地に表れます。だから人間は土に罪を犯します。創世記三章一七節において土は呪われました。「お前のゆえに、土は呪われるものとなった」と書いてあります。それで聖体祭儀の間、罪の赦しを願う時、私達は神と万物に犯した罪を赦します。神が造られた万物をよく世話しなかったので神と兄弟に「ごめんなさい」と言うのです。

一九九〇年の世界の平和の日のヨハネパウロ二世教皇のメーセジには、「人間は世界の森、川、生息地、大気の世話をしていない。それは罪です。だから人間はエコロジーを推進するべきです」と言いました。

二、信者たちがやっていることから

ア.収穫をささげる

聖体祭儀の時、私達は祭壇で神様に大地の作物をささげます。その時イエスは自分自身を祭壇で人間に食べ物として与えます。

昔ヘブライ人の祖先の時代に、パンは主食でした。パンがなければ、人々は生活できませんでした。パンは神の創造物の贈り物です。パンは神が世界を世話していることのシンボルです(出エジプト記二三章二五節)。パンは毎日の食事でした。だから聖体祭儀の時、私達はイエスのことを思い出します(イエスはパンを取って…)。このパンは万物のことです。すべてのものはイエスによって変化されました。

イ.パンとぶどう酒をわける

聖体祭儀の祭壇で世界のパンとぶどう酒をわけています。パンとぶどう酒は、共同体の生活を強めて、作ります。この神の万物は、貧しい人々の中で分かち合いをするべきです(イザヤ五八章七節)。このパンの分かち合いにおいて、人間は環境と関係があることがわかります。それからもし大地の天然資源を正しく配ったら、現代の環境の問題を直すことができると思います。貧しい生活は環境の一番問題です。

三、信者たちが信じていることと希望

「主イエスが……来られるまで」

聖体祭儀はイエス様が来られる式です。世界が悪くなったから、人間と環境は悪くなりました。イエス様が来られたら、世界を変えることでしょう。イエス様を待っているのは人間だけではありません。すべてのものも待っているのです。ローマの信徒の手紙に、「服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています」。

神様は自分の世界が好きですから、神の希望は世界が新しくなることです。聖体祭儀の時、信者もすべてものも神の救いも待っています。

まとめ

ローマ・カトリック教会の聖体祭儀全体は、環境に関係があります。もし聖体祭儀をきちんとしたら、私達は現代のエコロジーの問題を直すことができます。毎日の聖体祭儀の意味は「私達は神が造ったものの責任者」であることだとわかります。

だから、神の赦しを願う時、私達は万物に対して犯した罪の赦しを願った方がいいです。それによって、神は私達とすべてのものを祝福します。そして神の世界は安全になります。それから聖体祭儀の最後の言葉の意味が分かるようになります、「行きましょう、主の平和の内に。神に感謝」。