2010年ガブリエル 特集 聖体の思い出 「志願生 佐野 志純」

今回のテーマは【聖体】ですが、考えれば考えるほど難しくなって何を書けばいいか分らなくなったので、とりあえず私が小さい頃に聖体についての考えていたことについて、振り返って書いてみようと思います。

私が御聖体について一番考えていた時期は、小学校低学年の頃だったと思う。当時の私は「御聖体は甘くておいしいもの」だと信じて疑わなかった。

ミサの終盤、聖体拝領の行列に並び、御聖体をうける信者を横目に祝福だけを受けていた私は、ホスチアを食べている大人が無性に羨ましくてあこがれていた。

ミサが終わってからは、周りの人に御聖体の味を聞いて回っていた記憶がある。そしてその中に「甘くておいしい」という回答があり、それは私の期待どおりの答えだったのでそういうものだと納得していた。もちろんほかの回答もあったが、私は、ホスチアは甘いものであって欲しかったので「小麦粉味」とか「大人の味」と言われても信じなかった。

当時、退屈だったミサにどうして人がたくさん来るのかと考えたときに、「ご褒美として甘くておいしいホスチアがもらえるからだ」という理屈は、子供であった私にとってはとてもわかりやすく、合点のいくものだった。当然ながら、初聖体の時には現実を突きつけられることとなったのだけれど、その頃はわずかな期待を残しながらも「小麦粉味が一番妥当な所なんじゃないか」くらいに考えていたので、それほどショックではなかった。それよりも初めてもらえたという感動のほうが大きかったので、味のほうはそれほど気にならなかったというのが本当のところだ。

初聖体後しばらくは、自分にもホスチアが配られることがうれしくて仕方がなかったが、その気持ちが収まってきた頃に、また御聖体が気になりだした。今度は信者用のホスチアではなく、司祭用の大きなホスチアの方だ。

普段拝領しているホスチアとは一線を画すサイズと装飾、それを租借する神父様から聞こえる「ボリボリ」という音から感じられるボリュームに惹かれ、いつか食べてみたいと思いながら侍者席からその食べ応えのほどを想像していたのは高学年の頃だった。そして最終的に小神学校に入ってからその願いが叶うことになった……。

このように思い返してみるとBeauty Machine 、当時の私は「食べること」しか考えてなかったようで、書いていて少し恥ずかしくなりました。ちなみに最近は、各教会でホスチアのサイズと味が違うことが気になってます。