2014年度ガブリエル91号「兄弟という家族」立願神学生 荒田啓示

立願神学生 荒田啓示

立願神学生 荒田啓示

兄弟という家族

立願神学生 荒田啓示

ルドヴィコ小神学院に入った時から数えて今年で12年目、現在24歳の私は丁度人生の半分を神言会共同体の中で過ごしている事になります。我々は世界中どの神言会会員に対しても「兄弟会員」として接します。年が若かろうと年配の会員であろうと、神言会会員がそこにいれば、その人は我々の兄弟であるわけです。こうして言葉にするのは簡単ですが、お互い一人の人間であり、通常の家族のような血の繋がりはありません。

恐らくどのような社会においても、人間関係の問題は人々を悩ませる大きな要因であることでしょう。こうした問題が起きた時、合わない人間と距離を置いてみる、あるいは関わりを絶つことで自身の気持ちを落ち着かせることができるでしょう。これも一つの手段であると私は考えます。しかし、家族間や共同生活をしている者同士ではそのような切り札を使う事が容易ではありません。同じ場所に住み、同じテーブルで同じ飯を食べる毎日です。そんな中で誰か一人が周りとの関わりを絶つ行動を見せれば、たちまちその共同体は共同体としての価値を失っていきます。例えば私が「あの指導司祭ホンマに腹立つわ。なんやねん!」と思ったとしても、そこからがスタートです。我々はお互い素直に意見をぶつけ合います。衝突することが互いの関係を構築していく第一歩となるわけです。あ、これは例えばの話ですよ。ええ。

我々人間は関係を発展させようと思わない相手に対して腹を立てたり衝突したりすることはほとんどありません。お互いがお互いを理解してほしい、そういう思いから議論や対立が生まれるのだと私は考えています。

一般的に人間はこうした関係発展の為の衝突を幾度となく繰り返し、お互いを理解し合えるパートナーと家庭を築き、その一家を子々孫々にまで受け継がせていくでしょう。しかし我々のように修道生活を歩む者は子孫を残しません。共同体の中で先の者が後の者に神言会の精神を伝授していくのであります。時には言葉によってではなく、先の者の生き様から学ぶこともあります。こう書くと某人気少年漫画に登場する一子相伝の拳法のようなイメージが浮かんできますが、全くの的外れとは言えないかもしれません。

さて、このような事をまだまだヒヨッコの神学生である私が偉そうに語るのは何やら説得力に欠ける部分もあるかも知れませんが、言った者勝ちであります。そしてこれは私自身への再確認でもあります。対立・衝突を無理に無くすよりも、むしろそれを経た上で良好な人間関係を築いていくことができるように努力していきましょう