2014年度ガブリエル91号「つながり」

志願生指導司祭 ディンド神父

志願生指導司祭ディンド神父(中央、赤ストライプ)と家族

つながり

志願生指導司祭 ディンド・サンティアゴ

先日の短大の授業では、イエスの系図をテーマにして話した。多くの人は、マタイ1・1~17を読んで、「無味乾燥で面白くないので、こんなものを読んでいられるか、本棚にしまっておこう」という気持ちになるだろう。イエスの系図をきっかけに、生徒たちにも自分の家系図を書くようにと宿題を与えた。短大生は皆、驚くほど真面目に色付けまでして細かく書き、なかには祖父母の兄弟まで調べた学生もいるほどであった。
わたくしも今回自分の家系図を改めて書いてみた。この作業を初めて行なったのは、一九九七年の志願期のクリスマス休暇の時であった。その時に、母と色々相談しながら作成し、全く知らない家族のいろいろなことをたくさん教えてもらった。今回も家族・親族一人ひとりのことを思い出し、いくつかのエピソードが甦った。言うまでもなく、すべての思い出が良いという訳ではない。時には物質的な距離だけではなく自分の心からも遠く離れてしまった親戚もいる。しかし、心がどんなに離れていてもみんな家族としてつながっている。自分勝手に選ぶことのできない家族の絆によってつながっている。
よほど有名な方でなければ、他人の家系図を見ることが無意味であまり面白くないと感じるが、自分の家系図を書くと気付かされることが色々ある。貴重なひと時と言っても過言ではない。何らかの理由で自分の家系図に自らを加えたくない人もいるかもしれないが、自分と同じ血が流れて自分とつがっている事実を変えることはできない。主イエスでさえ系図に出てくる人物がみんな完璧な人ばかりではない。当時のユダヤの男性社会の中で、女性の名前が入れられるのは珍しいことはよく知られている。さらに、罪深い女と思われる者がイエスの系図に加えられているのはなぜか。マタイがこれをしるしとして使われ、どんなに罪深い者であっても存在し、生きた意味があるという強いメッセージを伝えた。男女問わず人間の罪・弱さを目に留めるために入れられたのだろう。そして、そこに神さまの人類に対する慈しみ、憐れみ、赦し、愛が示される。どんなに弱い人間であっても神さまに愛され、良いものを生み出すことができるという意味も含まれる。従って、家系図で自分とつながっているすべての人たちを、神さまが愛されるように愛すべきだ。
そこで、家系図のもつ深い意味に気付くであろう。慈しみ、憐れみのパワーを感じ、裁くことなく赦し受け入れる心が湧いてくる。どんなに弱い人間であっても、神さまに愛され、自分とつながっているからこそ大切にしたい。そして、自分の弱さに目を向け、結局自分も完ぺきではないことに気付かされる。
現在、宣教事務局を担当させていただき、その便りの題は「つながり」。これからも恩人、支援者、宣教協力者のみなさまと強い絆で「つながり」、家族として大切にしたい。