2014年度ガブリエル91号「家族と召命、母からのメッセージ」修練長ヘリ・ティブルティウス

家族と召命、母からのメッセージ

修練長 ヘリ・ティブルティウス

2014年5月24日、私の母が69歳で帰天しました。たまたま母が亡くなる前日に、私は電話で話す事が出来ました。その会話の中で、突然、母が私に「あなたは私を愛していますか」と聞きました。この唐突な質問に対して、私は母に「もちろん、私はお母さんを愛していますよ。ですから、今もこうして私は遠く離れた日本からお母さんに電話をしているのですよ。」と答えました。私の答えを聞くと、母は「ありがとう」とこたえてくれました。

時々私は「あなたは私を愛していますか」という母からの問いかけを考える時、ヨハネ福音書21章15~19節を思い出します。この福音箇所において、復活されたイエスは、三度もペトロに「ヨハネの子シモン、この人たち以上に私を愛しているのか」と聞かれます。その質問によって、ペトロの心にはイエスと出会ったときからそれまでの熱い思い出が次々と浮かんできたことでしょう。そして、深い友情と謙遜の隠れた言葉がペトロの震えた唇から流れ出ました。「主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」。三度も同じ質問を聞いた時のペトロの気持ちはどんなふうだったでしょう。しかし、イエスはペトロに、「あなたがこの人たち以上に私を愛していることを私は知っているので、私の羊を任せる」とおっしゃいました。イエスが、自分の大切な羊を任せる前に、確認したかったのは、その人が、どれほど影響力があるかどうかということでも、どれだけ能力があるかということでもありません。またどんな失敗や過ちをしたかでもありません。ただ一つだけイエスが確かめたかったことは、イエスに対する愛です。イエスはペトロの瞳に、そして彼の心の奥底にその愛を見出したに違いありません。これこそヨハネ福音書が強調したかった事ではないかと思います。

さて、このヨハネ福音書のメッセージを頭に置きながら、冒頭にある私の母からの質問に戻りましょう。私にとって、「あなたは私を愛していますか」という母からの質問には、二つの意味があります。一つは、「親子の愛」を確認すること。そして、もう一つは「召命、すなわち、愛を証しするための招き」ということです。まず、「親子の愛」を確かめることについて考えてみましょう。人間として、私たちは死に直面する時、必ず寂しさと恐怖感を感じるに違いありません。確かに、母も心臓病との戦いの中で、孤独な寂しさと恐怖感を感じていたことでしょう。母は私が自分のそばにいて欲したかったことと、宣教師である私の立場をよく理解していたと思います。それでも、彼女は私の祈りと支えを必要としていました。親として、母は私を産んでくれたことだけでなく、あふれる愛によって私を育ててくれました。ですから、イエスのように、母もこの世を去る前に、母に対する私の愛を確かめたかったのではないでしょうか。これは当然なことであり、親子の関係における相互愛です。

次に、母の質問には、私は「自分の召命、すなわち、愛を証しするための招き」ということを考えさせられました。愛によって、母は私を育ててくれたので、私も同じような愛を示さなければならないということです。言い換えれば、もし、私が母を愛しているのであれば、私に任せられた仕事と人々を大事にし、愛さなければなりません。実際、復活されたイエスがペトロの愛を確認した目的は、ご自分の羊を任され、彼らの世話をするためでした。同じように、母が私の愛を確認した目的は、彼女が示してくれた愛を証ししていくことに違いありません。これは母が私に残した最高のメッセージだと思います。この素晴らしいメッセージは私の本当の召命であり、宣教師としての使命であるのです。ですから、宣教師として、私は神の愛を証ししていくようにと招かれています。この召命は既に私の家族において芽生えていたもので、育まれてきたものです。これからこの召命をもっと生かし、たくさんの実を結ぶことができるように、努力していきたいと思います。