2014年度ガブリエル91号「家族」立願神学生指導司祭 暮林 響

立願神学生指導司祭 暮林 響

立願神学生指導司祭 暮林 響

「家族」

立願神学生指導司祭 暮林 響

先日のある日曜日の晩、何気にテレビを付けたら、「マルモのおきてスペシャル2014」という番組が放送されていました。三十代の独身サラリーマンが、死亡した親友の忘れ形見である幼い双子を引き取り、生き抜く姿を描く、二〇一一年にフジテレビ系列で報道されていた連続ドラマの、その後バージョンです。

幼子を引き取るにあたり、不思議な犬も付いてくるのですが、紆余曲折を経て、三人と一匹の共同生活が始まる中で、不器用な主人公が、自分たちが「家族」として仲良く暮らしていけるための「おきてノート」なるものを作り、血がつながらないながらもすったもんだしながら家族になっていく話で、家族っていったい何なんだろう、と色々と考えさせられるドラマです。

見ながら、アルゼンチンに居た時のことを思い出していました。スペイン語では神父のことを、パードレと呼ぶのですが、パードレというのは、家庭のお父さんを呼ぶ時と同じことばです。日本で司祭になったばかりの時に、「神父さん」とか呼ばれるとこそばゆくて、「ごうさんでいいですよ」と応えていたもので、アルゼンチンで司祭として働き始めても、青年たちにパードレと呼ばれると、「パブロかパブリットでいいよ」と応えていました。けれど、そのうちの一人の女の子が「できないですよ、だってパードレはパードレだから」と言うので、「だったらパードレって言ってきたら、『ミ・イハ(我が娘)』って答えるぞ」と伝えたら、「うれしい!」と言われました。そういうことがあってからその子とは「パードレ」「ミ・イハ」という受け答えが始まり、そのうち男子にも「ミ・イホ」と答え、「パードレ」と呼んでくる人には年齢を問わず「我が子」と答えるのが習慣になりました。そんな風にして何カ月か経ち、六月の父の日になると、信者さんの多くが「父の日、おめでとう!」と言ってくださり、胸の中に、特別な感情が生まれてきました。

もちろん、実の親の感情とは違うのは分っていますが、呼び名が人柄を作ってくると言いますか、「パードレ」「ミ・イホ、ミ・イハ」の受け答えをして、また父の日を祝われているうちに、責任感や温もりといったものが、それ以前よりも明らかに育ち、特別な絆と多くの人々の精神的な父としての自覚が生まれてきたことは確かでした。

そのときから、「父の日」には、血のつながったお父さんだけではなく、近所の面倒見のいいおじさん、孤児院の寮長さんや要理担当者など、色々な意味で子どもの成長に関わってお父さん代わりをしている人たちのためにもミサを捧げるようになりました。そして、父親というのは、子どもが生まれた瞬間に完成形になるのではなく、色々失敗や挫折を重ねながら、子どもに嫌なことを言われる時もあれば、邪魔者扱いされることもあり、時には恨まれ、どうすれば子どもとうまくやれるかいいか分らない日々が続いたりしながら、それでも顔と顔を突き合わせて、一生かけて、死ぬまでかけて、さらには死んだあと天国に行って子どもが天国にやってくるまで、父親になっていくものだ、ということを分かち合うようになりました。

神父も、信者さんの現実に触れ、ふがいなさやだらしなさゆえに幻滅させてしまうこともありながら、それでもなんとかみんなを神さまと引き合わせるために頭を下げ、勉強し直して、親心を育みながら、成長していくんだ、そう心から思います。

そうやって、家庭も、教会も、家族になっていくんだと思います。家族になっていく歩みを続けている皆さんの努力の上に、声援を送り、神さまの恵みを祈ります。