2014年度ガブリエル91号「家族とは」立願神学生 森 智宏

立願神学生 森 智宏

立願神学生 森 智宏(右)

家族とは

立願神学生 森 智宏

「家族」と言われて、最初に思い出したのは、「街は大きな家族」という、昔読んだ小説の台詞であった。その物語は「家族」を一つの主題としたもので、街の出来事に振り回され、主人公の家族がバラバラになっていくものであったが、家族が一つにそろった時、主人公は街に見守られていることに気付き、「街は大きな家族」であるということに気付くというものである。「家族」条件として、血縁、生活環境や暮らしている住居を共にしていることなどが挙げられると思うが、一つには「見守る」といったような、一つの「まなざし」があるかもしれない。

しかし、そういったことを考えると、私は街を家族などと思ったことは一度もない。私はイエ制度が壊れてからの、典型的なインドア型現代っ子であるため、人づきあいもろくになかった。その意味で故郷の環境は懐かしくも感じるし、嫌いではないが、故郷が好きかと言われると微妙である。またそういった理由もあってか、町の中での私に対するまなざしも、あまりいいものではなかったと思う。

しかし家族と教会だけはその中でも例外であったように感じる。家族は勿論、監視されているかと思うくらいのこともあった。教会に関して言うと、中学に上がるころには、私は学校の様々な行事や活動のため、酷い時は大きな祝祭日を除き、三か月に一回くらいしか教会に行かないこともあったが、それでも行けば、声をかけてもらったりしていたことは未だに記憶にある。正直、鬱陶しいと思うこともあったが、そうでなければ現在の私はなかったように思える。

高校、大学に行き、実家から距離が離れたが、以外にも実家から離れた方が周りの環境や人々に恵まれていたように思える。

現在、神学院に住んでいるが、実家に住んでいたころより、私に対する周りの目は、明らかに多い。時より、監視されているように感じたり、鬱陶しいと思ったりもするが、それでも私は周りの人々に恵まれているように思うし、神学院の人々は私にとっての「家族」であると感じる。

家族と言われると、血縁や住居を共にしている人々という印象が強いが、やはりそれだけではないように感じる。勿論、血縁や住居も大切な要素であるように感じる。しかし、それだけではなく、血縁や住居を共にして生まれる「互いへのまなざし」が生まれることこそが「家族」となるということであるように感じる。