4日目「預言者である修道者」神学生ファノ

エフェソ4章12−15節
こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、 ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。 こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、 むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。

今日のノヴェナのテーマは、「預言者である修道者」です。ご存知のように、預言者とは、神の言葉を預かって、人々に伝える人々のことです。私は、このテーマを選んだ時、最初に頭に思い浮かんできたのが、私たちの修道会にとって非常に大事で新しい宣教手段として進められてきている「預言者的対話」という言葉でした。神の言葉を預かって人々に伝えるという預言者の使命は、本質的に、今も変わることがないのですが、時代に応じてそのやり方が変わって来ています。預言者的対話は、私たちが接触している相手に対する「連帯と尊敬と愛」の姿勢に重点を置いています。一方的なコミュニケーションではなく、相互の分かち合いで、完全な真理への到着に向けての共同の探求なのです。
私が日本に来てから、色々な人と出会ってきました。自分と異なる文化や宗教的伝統を持っている人だけではなく、宗教を持っていない或いは必要としていない人々、また、世俗的な思想に基づいている極端な考え方を持っている人もたくさんいます。そういった人たちは、自分なりの生き方、自分なりの幸福の求め方、自分なりの救いへの道で歩んでいます。私にとって、いろいろな人と出会うことは恵まれている経験ではありますが、その反面、自分の人生に対して大きなチャレンジでもあると感じています。特に、自分が宣教師を目指していることに対して、その意味とまた、そのあるべき姿が強く問われていると感じています。それと同時に、このような文脈の中でこそ、宣教手段としての「預言者的対話」の大切さを改めて感じています。
異なる宗教、文化、思想による様々な考え方と価値観などが共存している社会において生きていると、危険性が伴っています。先ほど読まれたパウロの手紙の言葉でいうと、それは、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりするということです。しかし、パウロは、キリストの満ちあふれる豊かさのうちに成長して、そのキリストの愛に根ざしていれば、私たちは、決して、様々な悪い教えにもてあそばれたり、引き回されたりすることはありません。つまり、キリストへの信仰と愛に根ざしていることは、不可欠なのです。
まさに、この点は「預言者的対話」にとって非常に大切なのです。預言者的対話にはキリストへの愛と信仰に基づいたスピリチュアリティをしっかりを持ち、そこに根ざす必要性があります。これは、ある意味で、私たちが誰であるか、自分のアイデンティティーを再確認し、改めて意識する必要があります。「預言者的対話」は、外向きの宣教的奉仕だけではなく、私たちの生活にも属するのです。
私たちの元総会長であるアントニオペルニア神父様は、2006年の第16回総会議の報告書の中で次のように書いています。”神言会において絶え間ない霊的刷新の必要がある。修道的側面と宣教的側面というわれわれの唯一の召命の二つの側面の間のより大きな調和を獲得するための努力。修道宣教者としていつもわれわれの召命にこれらの二つの側面を分けてしまう危険がある。つまり、宣教にかかわることなく、われわれの主導生活を生きる事、およびわれわれの主導的関与のかかわりなしに宣教的な仕事をすることである。われわれの召命の二つの側面のより大きな調和を達成することは、真の宣教的霊性を発展させる以外のものではない。宣教的霊性は、われわれの宣教的関与に由来し、それによって育っていくのである”。