八雲町神学院建設50周年「感謝年」ミサの説教

神言神学院50周年記念

開会ミサ
神学院、2016年5月27日(金)
神学院長マリアヌス・パレ・ヘラ神父

 日本管区での神学院の歩みは1949年に始まりました。戦後間もなく、敗北から這い上がってきた戦後日本と共に、神学院も小さな一歩を踏み出しました。最初は滝川町で、浄土真宗のお坊さんになるための専門学校の土地建物を司祭宣教師を養成する場に変身させました。司祭二人、神学生10人という体制でした。戦後という、けっして楽な時代ではなかったはずです。しかし、先輩たちはその時代が差し出したチャレンジをチャンスとして見ていたのです;み言葉をより深く根付かせるチャンスとして見ていたのです。目の前のことだけではなく、20年先、30年先、50年先のことを見抜いていたのです。初代院長トナイク神父様をはじめ、当時の先輩たちの強い決心、惜しみない努力、鋭いビジョンがあってこそ、今の神学院があるのではないでしょうか。

10数年の滝川長時代が続き、50-60年代の日本の高度経済成長の最中、そして神学生・志願生の人数も少しずつ増えている中、また南山大学が当時の杁中から今の山里町に移動することをきっかけに、大学の近くに新しい神学院を建てた方が良いのではないかという新たな可能性が見えてきました。振り返ってみれば、聖霊の導きだとしか言えないのです。司祭養成を外国で行う案、東京で他の修道会と共同で行う案も出回っていました。しかし、最終的に、新しい神学院を建てることになりました。しかも、枝村師の話によりますと、シュッテ総長自身が日本に訪問した時に、ここ八雲町で新しい神学院を建てることを決めたそうです。正に、総長ならではの時代を見据える鋭いビジョンだと思います。

そして1965年、教会にそして世界に新しい風を吹かせてくれる第二バチカン公会議が閉幕した年に、日本近代建築の父とも呼ばれるアントニン・レイモンド氏の設計で神学校の建設工事が始まりました。その一年後1966年の5月26日に神学院の新しい建物の落成式が行われました。その時に、総会長を代理するカール・ミューラー師は、この新しい神学校の特徴は三つあると説明しました。その三つの特徴とは、①高度の研究の場、②宣教師たる司祭の養成の場、③日本人の宣教司祭を養成する場、です。

あれから、50年の年月が経ちました。時代は大きく変わりました。神学院も50年の間にいろいろと変わりました。ラテン語でミサ、ラテン語での授業の時代から日本語で神学・哲学が学べる時代に変わりました。ミサや勉強など一日中スータンで過ごす時代から、短パンだけでも平気で授業に出る時代に変わりました。司祭、神学生、志願生が別々の食堂で食べる時代から、司祭も神学生も皆で同じテーブルを囲む時代に変わりました。手紙を送る時代から、e-メイルやインターネットやアイフォンの時代に変わりました。ほとんどドイツ人の司祭(養成担当者)と日本人ばかりの神学生の時代から、多国籍の司祭(養成担当者)と多国籍の神学生の時代に変わりました。神学院は、時代の流れと共に絶えず生まれ変わり、変化し、成長してきました。

しかし、50年間経った今も、神学院の目的は変わりません。神学院は、み言葉を伝えることを自分のライフワークとする人々が集まる場所だということは変わりません。そのために日々熱心に勉学に専念する若人が集まる場所だということは変わりません。『Seminarium Verbi Divini Incarnati:受肉した神の御言葉の神学院』という正式名称に現れるように、神学院は人となったみ言葉を伝える熱意に燃える人々が共に支え合いながら、学び合いながら成長していくところだということは変わりません。八雲町のこの丘に建てられる神学院はみ言葉の光を世に放ってきました、そして放って続けなければなりません。そのために、この中に住まう私たち、ここから派遣されていくひとりひとりは、いつもみ言葉の光で世を照らしていかなければなりません:司祭として、宣教師として、あるいは一キリスト者として。状況は変わりますが、この理想を私たちは忘れてはいけないのです。

今までの歩みを振り返って、過ぎ去った過去を恵みとして受け止め、その恵みに気づき、驚き、それを感謝しながらこれからの歩みを整えていくことが50周年のお祝いの目的です。この神学院は神様が多くの先輩方を通して与えた恵みです。私たちは、会ったこともない先輩たちの努力、汗、苦労、思いを受け継いでいます。受け継いでいるというありがたさと同時に責任、単に維持する責任ではなく、より良いものにしていく責任も負っています。

神学院の歩みを振り返ってみると、先輩方がいろいろな困難に乗り越えられたことがわかります。そのように出来たのは、彼らがその時その時の時代のニーズに答えようと最善の努力をしたからであり、そして時代を見据えるビジョンで時代が差し出すチャレンジに答えてきたからです。今度は私たちの出番です。人となったみ言葉のタネが如何にして日本の地により深く根を張って、より多くの実を結べるのか。命の言葉が如何にして日本人の心そして多くの人の心に届けられるのか。そのための神学院の養成のあり方、神学のプログラムやカリキュラムはどうあるべきか。瞬く間に変わっていく時代に取り残された人々のためにどのような司牧が出来るのか、どのようにして寄り添っていくことが出来るのか、など。今この時代が私たちに差し出すチャレンジは山ほどあります。

日本語には「温故知新」という言葉があります。古い物事を確認して、その中から新しい知識、新しい見解、新しいアイデアを見出すという意味です。50周年を祝うこの一年を神学院のこれからの歩みにつながる新たな決心を生み出す恵みの時となるように、お互いに心を合わせて、力を合わせて、共に過ごしていきたいと思います。

最後に、創立者と共に祈りましょう。「み言葉の光と聖霊の御恵みによりて、罪の暗闇と不信仰の夜は消え失せ。イエスの御心が全ての人の心のうちに生きますように」。アーメン