8日目「新しい道を見出す教会」神学生アフリ

ヘブライ人への手紙10章19−22節
それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。 イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。 更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、 心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。

以前、アポストラトス先のところで、ある出来事が起こりました。勉強会の前に、ある子供たちが一緒に遊んでいました。ところが、その中の一人が、いじめの内容のような言葉づかいを使用してしまいました。いじめに関して、いじめられた子が、大人しく言い出したのは、「教会ではみんな平等だから、いじめをやめてください」。まさか、こういった文章が小学生の口から出たのは、全く思わなかったのです。きっと、家庭の中で、「教会ではみんな平等である」ことを両親に教えていただいたのではないかと思います。

さて、今日のノベナのテーマは「新しい道を見いだす教会」についてです。先ほど、朗読されたへブライ人への手紙では、聖所という用語が出てきました。聖所について同じ手紙の9:2には、「この幕屋が聖所と呼ばれるものです」という風に書いてあります。祭司達は、礼拝するために、第一の幕屋に入りますが、第二の幕屋には年に一度、大祭司しか入ることができないという決まりがあることを書き記されています。第一の聖所は人間の手、考え方によって、作られたのですが、第二の聖所は復活された主イエスの血によって、造られました。古い聖所は人間の手、考え方によって、作られたのであれば、人間の思い、つまり「上―下、強いー弱い」という見方も入り込んでしまったのです。新しい聖所は、主イエスの血によって、造られ、主イエスが謙遜であるように、私達も謙遜でなければならないのです。

イエスは、御自分の血によって、古い聖所においての区別をなくし、全ての人に聖なるところに入るためのチャンスを与えています。イエスはご自分の血によって、聖所に対する見方を変え、新しく建てられた聖所において、みんな平等の内に生きていることを望んでいます。イエスが開いてくださったこの新しい道は、偉い人と普通の人との間の区別をすることなく、全ての人が平等であることです。

聖所は、神と、人との出会い場、また神と、人との一致を現している場でもあります。神と人との出会い場であるならば、聖所において、みんな平等なのです。なぜなら、神が全ての人を救うために、招かれているからです。

復活された主イエスの血によって建てられた教会の新しい道としては、みんな平等でなければならないのです。復活された主イエスの名によって集まってくる人々は教会・共同体において一つになり、また集まってくる人々は他者に対して兄弟として扱うことができるのであれば、兄弟より上ではなく、兄弟より下でもなく、みんな平等であることをも扱わなければならないのです。主イエスの名によって集まってくる人々は純粋な心をもっているならば、兄弟に対していじめ、悪口、差別などをすることないのです。

こういった理想的な教会のあり方が実現できるように、私達は教会の一部として努力し、聖霊の助けを願い求めましょう。