9日目 アフリ神学生

聖書箇所:マタイ9:9-13

先ほど朗読した箇所は「マタイの召し出し」について書かれています。マタイの召し出しは、三つの大事な点があります。それは、働く場、出会い、従うこと、という三つの点から成り立っています。第一は、マタイの職場についてです。マタイは収税所に座っていることから言えるのは、彼が働いているという一つの情報を獲得しました。人生を維持するために、一つの重要なことは働くのです。つまり、「働く」とは「生きること」と関連があるということです。第二は、「出会い」ということについてです。マタイはイエスと出会ったのは、職場でした。そこで生きるために働いているマタイは、新しい職場且つ新しい人生を提供しているイエスと出会いました。つまり、そこで出会ったのは、人生を維持する人と新しい職場を提供している人です。イエスの言葉であった「私に従いなさい」を通して、イエスはマタイに新しい人生を提供しています。この呼びかけをどう受け止めるのかは、マタイ次第にあります。

第三は、従うことについてです。イエスの呼びかけを聞いたマタイは、「立ち上がってイエスに従った」と記されてあります。マタイは座っている状態から、立ち上がることができるのは、彼の開かれている心によるのです。マタイは大事な「決断あるいは選択」をしました。その決断・選択は、自分のためにあるいは特定の人のために働くことから、より多くの人々のために奉仕することです。マタイは「金を集める人」から「神の愛を伝える人」という道を選択しました。

マタイは職場にいたときに、イエスと出会いました。職場は別の意味で、私達の心の状態だと思います。マタイは大事な職場を置いて、新しい道を選択したのは、彼の心は特定のもの・ことに縛られていないからです。そのおかげで、マタイは迷わず、優先的な生き方を選びました。この聖書箇所を通して、私達は修道生活を選択した時の心の状態を思い出す機会になります。

私たちはどのように決断するのか、あるいは選択するのかについて、模範的なことを教えてくださったのは、イエスの生き方です。彼が人間の姿を受け取ったことを選択したのは、救いをこの世にもたらすためでした。救いをもたらしたイエスは、多くの人々と関わったのが当たり前のことです。イエスは多くの人々と関係を持つにもかかわらず、宣教活動において、彼は優先的なことを選択しました。つまり、イエスは宣教活動において、ある「立場を取ります」。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく、病人です」。イエスが「病人」を必要としている、と宣言するのは、自分の使命の立場を表示するためです。イエスは父からいただいた使命をラジカル的且つ完全に応えたのです。かくて、宣教活動に関するイエスの一貫性は模範的な召しだしになるのではないかと思います。

私たちは生きる中で、決断・選択をするのは一回限りのことではありません。これからも私たちは沢山のことを決断・選択しなけれならないかと思います。私たちもイエスとマタイのように、優先的なことを選択することができるように祈り求めましょう。