ノヴェナ」カテゴリーアーカイブ

5日目 エジルソン神学生

 

ルカ福音書1章25-28節

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。

数年前、私は仕事の面接のために、静岡県の掛川市の田舎の小さな会社に行きました。面接が決まった時から、持っていなかったスーツを買い、履歴書を丁寧に準備し、面接のイメージトレーニングまでやりました。面接する前から緊張感が止まりませんでした。面接当日に、約束時間の5分前に会社を訪れました。正面玄関から入ろうとしたときに服の汚いおじさんが、玄関のそばにあった花の手入れをしていました。その服装からすると、ただの清掃員、あるいは庭師のおじさんかと思いました。その会社においては身分の低い人だと思い、そのおじさんに挨拶もせずに、面接へと向かいました。会社に入り、事務員の方は快く、自分を応接間へ通し、お茶を出していただき、「社長が参りますので、少々お待ちください」と言われました。 続きを読む

6日目 傍島神学生

雅歌2:8-14

日本の未婚の若者たちの間には、クリスマスには恋人と一緒に時間を過ごしたいと考える人たちが多いようです。実際に、教会にも毎年、クリスマスの夜に、信者であるか信者でないかにかかわらず、普段は見かけないカップルたちが訪れます。仲むつまじい恋人たちの姿、初めて教会を訪れた恋人たちの姿は、ほほえましくも、ういういしくもあります。

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7日目 ジョナサン神学生

親心

サムエル記上2章

 先ほど朗読された聖書箇所では描かれたハンナが神様への模範的な忠実さを現したのだと思います。不妊のハンナは、子供という恵みを長い間、待っており、彼女によって生まれた子供であるサムエルを、約束した通り、惜しみなく神様に委ねました。神様への約束と言っても、ハンナが母として、子供から離れるのにどんなに辛いか、私には想像がつきません。しかし、彼女は、サムエルが神様の恵みによって生まれた子だと感じて、この恵みにふさわしく応えるために、自分が強く望んでいた子を神に捧げることを心に決めていたのでしょう。しかし、ハンナの神への忠実さだけではなく、彼女のお母さんらしい姿も魅力的だと思います。 続きを読む

1日目 グエン・タン・ヒ神学生

 クリスマスというのは、神様から全人類に救い主・幼い子という大きな贈り物を私たちにくださった記念です。

 今日の第一朗読、イザヤの預言56章の題名は「異邦人の救い」と新共同訳をめぐってみれば、そこには書かれています。神様が全ての民族、地球上にある全人類への救いを望んでいると、私たちはそう教えられ、信じています。

 マタイ7:24~28「カナンの女の信仰」、あるいはマルコ15:21~30「シリア・フェニキアの女の信仰」でも、異邦人への救いが旧約から新約にかけて、イエス・キリストを通して、成就されることを明白に書かれています。カナンの女の信仰の話では。 続きを読む

2016年降誕節ノヴェナ

神学院恒例のノヴェナが今日から始まりましたので、毎日神学生たちの分かち合いを載せていきます!24日まで神学生たちが朝の祈りの時間に分かち合うこと、その内容をどうぞ是非ご覧ください!

1日目 グエン・タン・ヒ神学生

2日目 アフリ助祭

3日目 荒田神学生

4日目 馬場神学生

5日目 エジルソン神学生

6日目 傍島神学生

7日目 ジョナサン神学生

8日目 先山神学生

9日目 ファノ助祭

 

聖霊降臨ノヴェナ 6日目 馬場神学生

2016年5月11日の分かち合い
「平和」について

朗読:ルカ24:50−53
ルカによる福音
イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。// そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。//
彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。
今日の分かち合いのテーマは「平和」です。

まず、私はまだ勉強中であるため、この分かち合いの内容が間違っているかもしれません。その旨を予めお詫びいたします。そして、もし間違っている箇所がありましたら、必ず後で教えてください。よろしくお願いします。
さて、「平和」とは何でしょうか?辞書で調べてみると、「①戦争や紛争がなく、世の中が穏やかな状態にあること。また、そのさま。②心配やもめごとがなく、おだやかなこと。また、そのさま。」とあります。そうなのでしょうが、何だかピンときません。では、私たちキリスト者にとって「平和」とはなんでしょうか?
と、その話をする前に、
私たちは今、主の昇天から聖霊降臨までの間にいます。昇天されたので主が共におられない。///この一週間にはどのような意味があるのでしょうか?今、私たちは何をしなければならないのでしょうか?
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言いますが、私たちは同じような経験をほんのひと月ほど前にもしていた筈です。///「主がともにおられない」という体験、そう聖土曜日の始まりから復活徹夜祭までの約30時間です。聖堂から何もかもが取り去られ、隠され、私たちは「主がともにおられない」ことを強く感じた筈です。しかし、この一週間はそうではありません。何が違うのでしょうか?
イエス様は弟子たちに、ご自身の御受難と死、そして復活を3度も話されました。しかし弟子たちはイエスの死後、人々に福音を告げ知らせずに、それぞれ元の場所に戻ってしまいました。彼らが自分たちの近くにいつもいるイエス様がいなくなったこと、そして「主は復活されて再び来る」というイエスの言葉を理解出来なかったからではないでしょうか?//しかしその後、弟子たちや女性たちがそれぞれ「イエスの復活」を体験するようになるにつれイエスの言葉、つまり自らの派遣とイエスに代わって弁護者が来ることを理解し、それに生きるものと変わったのです。「福音を宣べ伝えるのは、ほかの誰でもない私である。」と。だから彼らがイエスの昇天の後に大喜びで人々に福音を告げ知らせることが出来たのではないでしょうか。
ここで「平和」についての話に戻ります。エフェソの信徒への手紙では「キリストはわたしたちの平和である」と述べています。キリストは、その肉によって平和を実現され、私たちをキリストに生きる者つまり、平和に生きる者としてくださいました。すなわち、愛であるキリストが、私たちを愛に生きる者としてくださったとも言い換えることが出来るのではないでしょうか。//私たちは平和に生きる者です。
私の好きな言葉の一つに、「暗いと不平を言うよりも進んで明かりをつけましょう」があります。小さな頃から幾度となく耳にしてきたこの言葉が、なぜか最近になって心に染みるようになりました。こころのともしび運動が私に蒔き続けてくれた種が、やっと根を張り、芽を出したのかもしれません。この言葉は、愛を行いのはほかの誰でもなく私である。私が進んで愛を実践する。という意味であると私は理解しています。
そこで愛の実践についてお話ししたいと思います。私の志願期と修練期に修女連の合同修練に参加する機会をいただきました。その中で特に心に残った神父様の話が、「愛とは優しく、ほわっとしたものではない」ということです。修道院の生活は様々な人が集まった共同生活です。当然考え方も十人十色です。そのような生活の中で、愛することとは、例えば、ある修道院で、一人のシスターが開けっ放しになったトイレのドアを毎日黙って閉めているような話がありました。全員が開けっ放しにするわけではありません。ごく一部の人が開けっ放しにするのです。開けっ放しにすると臭いや音が漏れるのでドアを閉めます。みんなそれに対して不平不満を漏らしたり犯人探しをしたりしていました。しかし幾人かのシスターは、開けっ放しにする人に対して怒りもせず黙って毎日トイレのドアを閉めている。このように小さなことだけれども、それによって修道院の平和に保っている。これこそ「暗いと不平を言うよりも進んで明かりをつけましょう」ではないでしょうか。今、世界で戦争や紛争、テロ、難民問題など平和とは反対にあるようなことが多くあります。そのような大きな問題に対しても、他の誰かが解決してくれる問題としてではなく今、他の誰でもない、私が行動しなければならない事として考えなければなりません。
「キリストによって実現された愛、つまり平和に生きる私たち」が、自分とその周りの小さな平和、あるいは世界の中で愛であり平和であるキリストを宣べ伝え、実行するためにはどうすればよいでしょうか?聖霊降臨までの残された時間の中で日々の祈りと奉仕、勉強を通して見つけてみましょう。

聖霊降臨 5日目 ジョナサン神学生

あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、思いやりの心、親切、へりくだり、優しさ、広い心を身にまといなさい。 互いに耐え忍び、誰かに不満があったとしても、互いに心から赦し合いなさい。主があなたがたを心から赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。 これらすべてのことを上に愛をまといなさい。愛は完成さをもたらす帯です。 そして、キリストの平和にあなたがたの心を支配させなさい。あなたがたが一つの体に結ばれる者として招かれたのも、この平和のためなのです。そうして、感謝の人となりなさい。

コロサイ3章12−15節
テーマ:寛容

この聖書箇所にある、パウロのコロサイ人たちにあてた励ましの言葉は、キリスト者にとって、最高なお褒めの言葉のではないでしょうか。パウロは、コロサイの使徒たちを「神に選ばれたもの、聖なるもの、愛されているもの」という風に次から次へと褒めて、呼びました。私の心も、この言葉をとおして、誇りで満たされたような気がします。私はあのコロサイ人たちと同じように、キリスト者だからです。しかし、パウロは、この手紙を励ましとお褒めの言葉で止めなかったのです。すぐに、コロサイの人々に、そして、現代、この書簡を読んでいるキリスト者たちに、命令を出しました。「互いに耐え忍び、誰かに不満があったとしても、互いに心から赦し合いなさい」と。
このパウロの命令で、愛に満ち溢れる共同体を作るのはどんなに難しいことか、私たちにも分かると思います。たくさんの人が集まると、いくら同じ目的を持っているとしても、異文化や言語の壁や性格の相違などというチャレンジーが必ず出てくるでしょう。そして、あまり好きではない、受け入れがたい人に会える可能性が高くなるのではないかと思います。こういうことがあると分かっていたパウロは、私たちに対する神様の寛大さを思い出させてくださいます。神様は、私を心から赦してくださったので、私は兄弟を赦せないというわけにはいかないでしょう。もちろん、これは簡単なことだと言えないのですが、神様が私たちを先に赦してくださり、愛してくださったのを意識すると、分け隔てなく寛容の心を持って、皆を真に赦し、尊敬し、愛することはできなくはないことだと思います。
確かに、キリスト者であることはただの素敵な名前ではありません。私たちは本当のキリスト者として生きるために、キリストのように、神様のように、互いに赦し合い、愛し合わなければなりません。だが、もし私たちがこの掟に対して、失敗しても、神様は私たちをすでに神様の寛大さで赦してくださったでしょう。そして、寛容の心を持つまでに導いてくださるでしょう。だから、祈り続けましょう。

聖霊降臨ノヴェナ 4日目 エジルソン

ガラテヤの信徒への手紙

霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。 続きを読む

聖霊降臨ノヴェナ 3日目 荒田神学生

マタイによる福音6:1-6
テーマ「善意」
立願神学生 荒田啓示

見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。 続きを読む

聖霊降臨 2日目 傍島神学生

聖書箇所:ルカによる福音10章21-24節
テーマ:「喜び」
立願神学生 傍島義雄

この「喜び」というテーマを選んだ後で、自分にはあまり似つかわしくないテーマを選んでしまったのではないかと感じました。というのも、生きる気力を失くしてしまうような抑鬱的な状態に陥ったり、憎しみの感情に襲われたりすることが、私には、しばしばあるからです。しかし、喜びに飢え渇いているからこそ、喜びを求めて、私たちは毎日聖堂に来て、黙想し、典礼に与り、賛美の歌を歌うのかもしれません。 続きを読む