八雲町神学院建設50周年「感謝年」ミサの説教

神言神学院50周年記念

開会ミサ
神学院、2016年5月27日(金)
神学院長マリアヌス・パレ・ヘラ神父

 日本管区での神学院の歩みは1949年に始まりました。戦後間もなく、敗北から這い上がってきた戦後日本と共に、神学院も小さな一歩を踏み出しました。最初は滝川町で、浄土真宗のお坊さんになるための専門学校の土地建物を司祭宣教師を養成する場に変身させました。司祭二人、神学生10人という体制でした。戦後という、けっして楽な時代ではなかったはずです。しかし、先輩たちはその時代が差し出したチャレンジをチャンスとして見ていたのです;み言葉をより深く根付かせるチャンスとして見ていたのです。目の前のことだけではなく、20年先、30年先、50年先のことを見抜いていたのです。初代院長トナイク神父様をはじめ、当時の先輩たちの強い決心、惜しみない努力、鋭いビジョンがあってこそ、今の神学院があるのではないでしょうか。 続きを読む

5月20日 マザーヨゼファの祝日

madre_Josefa

今日は、福者ヘンドリナ・シュテマンス(マザーヨゼファ)の祝日です。私たち神言会の姉妹会である聖霊会の共同創立者です。
1852年ドイツに生まれ、聖霊会創立前の5年間、神学院で働きながら、会の創立を待ちました。会が創立されてからは、上長シスターマリアを助けて創立 期の困難な時に、シスターたちのために優しく配慮しました。シスターマリアが観想部門(永久礼拝聖霊会)に移籍した後は、上長として会の発展に尽くしまし た。2007年に聖座から彼女に列福の栄誉が与えられ、2008年6月29日にオランダのテーゲレンで列福式が行われました。
マザーヨゼファ、私たちのために祈りください。
(出典:聖霊会ホームページ http://www7b.biglobe.ne.jp/~ssps/mokuji.htm

聖霊降臨ノヴェナ 6日目 馬場神学生

2016年5月11日の分かち合い
「平和」について

朗読:ルカ24:50−53
ルカによる福音
イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。// そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。//
彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。
今日の分かち合いのテーマは「平和」です。

まず、私はまだ勉強中であるため、この分かち合いの内容が間違っているかもしれません。その旨を予めお詫びいたします。そして、もし間違っている箇所がありましたら、必ず後で教えてください。よろしくお願いします。
さて、「平和」とは何でしょうか?辞書で調べてみると、「①戦争や紛争がなく、世の中が穏やかな状態にあること。また、そのさま。②心配やもめごとがなく、おだやかなこと。また、そのさま。」とあります。そうなのでしょうが、何だかピンときません。では、私たちキリスト者にとって「平和」とはなんでしょうか?
と、その話をする前に、
私たちは今、主の昇天から聖霊降臨までの間にいます。昇天されたので主が共におられない。///この一週間にはどのような意味があるのでしょうか?今、私たちは何をしなければならないのでしょうか?
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言いますが、私たちは同じような経験をほんのひと月ほど前にもしていた筈です。///「主がともにおられない」という体験、そう聖土曜日の始まりから復活徹夜祭までの約30時間です。聖堂から何もかもが取り去られ、隠され、私たちは「主がともにおられない」ことを強く感じた筈です。しかし、この一週間はそうではありません。何が違うのでしょうか?
イエス様は弟子たちに、ご自身の御受難と死、そして復活を3度も話されました。しかし弟子たちはイエスの死後、人々に福音を告げ知らせずに、それぞれ元の場所に戻ってしまいました。彼らが自分たちの近くにいつもいるイエス様がいなくなったこと、そして「主は復活されて再び来る」というイエスの言葉を理解出来なかったからではないでしょうか?//しかしその後、弟子たちや女性たちがそれぞれ「イエスの復活」を体験するようになるにつれイエスの言葉、つまり自らの派遣とイエスに代わって弁護者が来ることを理解し、それに生きるものと変わったのです。「福音を宣べ伝えるのは、ほかの誰でもない私である。」と。だから彼らがイエスの昇天の後に大喜びで人々に福音を告げ知らせることが出来たのではないでしょうか。
ここで「平和」についての話に戻ります。エフェソの信徒への手紙では「キリストはわたしたちの平和である」と述べています。キリストは、その肉によって平和を実現され、私たちをキリストに生きる者つまり、平和に生きる者としてくださいました。すなわち、愛であるキリストが、私たちを愛に生きる者としてくださったとも言い換えることが出来るのではないでしょうか。//私たちは平和に生きる者です。
私の好きな言葉の一つに、「暗いと不平を言うよりも進んで明かりをつけましょう」があります。小さな頃から幾度となく耳にしてきたこの言葉が、なぜか最近になって心に染みるようになりました。こころのともしび運動が私に蒔き続けてくれた種が、やっと根を張り、芽を出したのかもしれません。この言葉は、愛を行いのはほかの誰でもなく私である。私が進んで愛を実践する。という意味であると私は理解しています。
そこで愛の実践についてお話ししたいと思います。私の志願期と修練期に修女連の合同修練に参加する機会をいただきました。その中で特に心に残った神父様の話が、「愛とは優しく、ほわっとしたものではない」ということです。修道院の生活は様々な人が集まった共同生活です。当然考え方も十人十色です。そのような生活の中で、愛することとは、例えば、ある修道院で、一人のシスターが開けっ放しになったトイレのドアを毎日黙って閉めているような話がありました。全員が開けっ放しにするわけではありません。ごく一部の人が開けっ放しにするのです。開けっ放しにすると臭いや音が漏れるのでドアを閉めます。みんなそれに対して不平不満を漏らしたり犯人探しをしたりしていました。しかし幾人かのシスターは、開けっ放しにする人に対して怒りもせず黙って毎日トイレのドアを閉めている。このように小さなことだけれども、それによって修道院の平和に保っている。これこそ「暗いと不平を言うよりも進んで明かりをつけましょう」ではないでしょうか。今、世界で戦争や紛争、テロ、難民問題など平和とは反対にあるようなことが多くあります。そのような大きな問題に対しても、他の誰かが解決してくれる問題としてではなく今、他の誰でもない、私が行動しなければならない事として考えなければなりません。
「キリストによって実現された愛、つまり平和に生きる私たち」が、自分とその周りの小さな平和、あるいは世界の中で愛であり平和であるキリストを宣べ伝え、実行するためにはどうすればよいでしょうか?聖霊降臨までの残された時間の中で日々の祈りと奉仕、勉強を通して見つけてみましょう。

聖霊降臨 5日目 ジョナサン神学生

あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、思いやりの心、親切、へりくだり、優しさ、広い心を身にまといなさい。 互いに耐え忍び、誰かに不満があったとしても、互いに心から赦し合いなさい。主があなたがたを心から赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。 これらすべてのことを上に愛をまといなさい。愛は完成さをもたらす帯です。 そして、キリストの平和にあなたがたの心を支配させなさい。あなたがたが一つの体に結ばれる者として招かれたのも、この平和のためなのです。そうして、感謝の人となりなさい。

コロサイ3章12−15節
テーマ:寛容

この聖書箇所にある、パウロのコロサイ人たちにあてた励ましの言葉は、キリスト者にとって、最高なお褒めの言葉のではないでしょうか。パウロは、コロサイの使徒たちを「神に選ばれたもの、聖なるもの、愛されているもの」という風に次から次へと褒めて、呼びました。私の心も、この言葉をとおして、誇りで満たされたような気がします。私はあのコロサイ人たちと同じように、キリスト者だからです。しかし、パウロは、この手紙を励ましとお褒めの言葉で止めなかったのです。すぐに、コロサイの人々に、そして、現代、この書簡を読んでいるキリスト者たちに、命令を出しました。「互いに耐え忍び、誰かに不満があったとしても、互いに心から赦し合いなさい」と。
このパウロの命令で、愛に満ち溢れる共同体を作るのはどんなに難しいことか、私たちにも分かると思います。たくさんの人が集まると、いくら同じ目的を持っているとしても、異文化や言語の壁や性格の相違などというチャレンジーが必ず出てくるでしょう。そして、あまり好きではない、受け入れがたい人に会える可能性が高くなるのではないかと思います。こういうことがあると分かっていたパウロは、私たちに対する神様の寛大さを思い出させてくださいます。神様は、私を心から赦してくださったので、私は兄弟を赦せないというわけにはいかないでしょう。もちろん、これは簡単なことだと言えないのですが、神様が私たちを先に赦してくださり、愛してくださったのを意識すると、分け隔てなく寛容の心を持って、皆を真に赦し、尊敬し、愛することはできなくはないことだと思います。
確かに、キリスト者であることはただの素敵な名前ではありません。私たちは本当のキリスト者として生きるために、キリストのように、神様のように、互いに赦し合い、愛し合わなければなりません。だが、もし私たちがこの掟に対して、失敗しても、神様は私たちをすでに神様の寛大さで赦してくださったでしょう。そして、寛容の心を持つまでに導いてくださるでしょう。だから、祈り続けましょう。

聖霊降臨ノヴェナ 4日目 エジルソン

ガラテヤの信徒への手紙

霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。 続きを読む

聖霊降臨ノヴェナ 3日目 荒田神学生

マタイによる福音6:1-6
テーマ「善意」
立願神学生 荒田啓示

見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。 続きを読む

聖霊降臨 2日目 傍島神学生

聖書箇所:ルカによる福音10章21-24節
テーマ:「喜び」
立願神学生 傍島義雄

この「喜び」というテーマを選んだ後で、自分にはあまり似つかわしくないテーマを選んでしまったのではないかと感じました。というのも、生きる気力を失くしてしまうような抑鬱的な状態に陥ったり、憎しみの感情に襲われたりすることが、私には、しばしばあるからです。しかし、喜びに飢え渇いているからこそ、喜びを求めて、私たちは毎日聖堂に来て、黙想し、典礼に与り、賛美の歌を歌うのかもしれません。 続きを読む

2016年聖霊降臨ノヴェナ

みなさま、今年も神学生たちによる聖霊降臨ノヴェナが始まります。聖霊降臨の主日まで、一人一人の神学生が朝の祈りの中で、分かち合いをします。
その内容は、日々ここにアップしますので、どうぞご覧ください!

2日目 傍島神学生

3日目 荒田神学生

4日目 エジルソン神学生

5日目 ジョナサン神学生

6日目 馬場神学生