聖霊降臨 ノヴェナ 4日目 ・ レンディ神学生

テーマ 「預言者」

 預言者の意味に関して、皆さんはよくご存知だと思います。様々な意味がありますが、未来の事象が予知出来る人という意味に基づいて、アーノルド・ヤンセンのことに関して、分かちあいたいと思います。この意味で、アーノルド・ヤンセンは生きていた時に、預言者としての役割を果たしていたと思います。彼は世のしるしや未来のことが見られる人だと思います。それは神からいただいたカリスマとして、また彼自身の動力で祈りを通して、神の業や将来のことを予知することが出来ました。そして、彼の生き方は、神との親しい関係を示していました。

 彼がしたことをすべて神の業として見ていました。神言会を創立した時に、いろいろな人に疑われて、しかも頭のおかしい人だと度々言われました。それにもかかわらず、彼は、それを神のわざとして信じ、努力してやりました。彼は心強い人として、また周りの人のことを気にせずに、自分が信じていること、道を忠実に守ってしっかりやる人として示しています。一方で、彼が神の業が分かるのは簡単なことのではないので、日常生活の中である様々な活動が神の業として、見る必要があると示しています。そして、どちらか神の業、あるいは人間の業が区別して見えてくるようになります。もし神の業であるならば、ずっと続いており、でなければ、つまり人間の業であるならば、途中でいなくなるということを彼は信じっています。

 今、現代に生きている私たちはどこまで預言者の役割を果たしてきたのでしょうか?あるいはアーノルド.ヤンセンのような日常生活の中で起こった出来事は神の業として、見ることが出来たのか?それは私たちが自分で探して、見つけることが出来ると思います。しかし、どこに探せばよいのか?どのような方法を使って、見つけることが出来るのか?それは遠いところまで探しに行くのではなく、私たちの日常生活の中にあると思います。ただし、私たちは見つけるまで、諦めずに意志を持って探さなければならないと思います。日常生活の中で起こった出来事は反省する必要もあります。小さい出来事、また大きな出来事を関係なく、私たちの反省することによって、神の業は見出すことが出来ると思います。そして、それは一回やって、満足して、終わりのではなく、連続の活動としてしなければならないと思います。私たちの心の中で出来事を反省する意思を持つことが大切です。なぜなら、出来事の反省することによって、私たちの存在は私たちのためだけではなく、多くの人のためにも見ることが出来るからです。また、私たちは預言者としての存在も見出すことが出来ると思います。それらのことはAJが生きている間によくやったと思います。 

 アーノルド・ヤンセンのような、聖霊降臨を迎えている私たちも、聖霊の導きに基づいて、世のしるしをちゃんと見て、どのような判断を持って、実現しなければならないと思います。しかし、それは関心を持つ必要があります。関心があるからこそ、私たちはいつまでも日常生活の中で起こった出来事が世のしるしとして探したいという気持ちを持ち続けると思います。一方で、私たちからも忠実さと我慢することを持つ必要があります。どんな問題があっても、諦めずにAJのような、それは神の業として見て、前の道を進まなければなりません。私たちは一人で歩くのではなく、神と一緒に歩いていることを信じて、他の人のために役立つものになりますように。

レンディ神学生